日本・ネパール文化交流倶楽部の会員さんで 現在、青年海外協力隊でネパールダディン郡ダディンベシ在住のAさんからの報告の続きです。 この報告メールは、6月10日付で、事務局に届きました。 理事長が出張に行ったのが今年3月ですので、それよりも最新のダディン郡マイディ村の情報です(^^) Aさん、電気や通信状況の悪い環境で、とても時間をかけた観察に基づくご報告、 ありがとうございます。本当に感謝です。 これからもお体に気を付けて、楽しみながら活動を続けてほしいですね! 鈴木 その1はこちら その2はこちら その3はこちら その後の震災復興ですが、街に住んでいるのですが、 ネパールの新聞やテレビを見ない生活をしているので、 住み続ければ続けるほど、よくわからなくなってきています。 でも、ダディンベシは、ひびが入って危険な建物は取り壊され、 地震で建物が壊れて空き地になった場所には建物が建ったりと、 地震の面影はなくなってきています。 JICAの支援で修繕される学校の校舎は55校あるそうで、 現在40の校舎が完了したそうです。 一応私の配属されている保健事務所がらみのは、 こちらは病院で出産しても24時間後には帰宅しなければいけないのですが、 3日間滞在できるプログラムがあり、5月中旬のバイサーク(ネパールの1月)迄で終了しました。 それと、低栄養の子供のために、NGOとの連携が11月中旬カルティック(ネパールの5月)まであるようです。 ネパールの教育事情ですが、とにかく酷いです。 この支援に参加するにあたって、こんな滅茶苦茶な学校に通わせても意味がないのでは? と最初は考えていたのですが、滅茶苦茶とはいえ、この国の学校なのでそこを卒業しているのと していなのでは大きく将来が左右されるので、参加したという経緯があります。 しかも、色々と見てきた中で、学校入学以前に先進国の子供たちのように 栄養が足りていないのと、遊びを通して脳を育てるというのがほどんとされていなので、 もし先進国レベルの小学校教育をそのまま持ち込めても効果は同じようにはでないのでは? と考えています。 栄養面は、途上国はどこでもなのですが、脳を育てる鉄とヨードが足りていません。 世界の中でもアンデス山脈とヒマラヤ山脈のエリアが特にヨードが少ないそうです。 そして、日本でも有名なDHAも、海が無いのでそれらを含む魚が手に入れにくいです。 一応、1缶100ルピー位でイワシ缶が売っていますが。 植物性の体内でDHAになる栄養素も、クルミ等ありますが、 庶民のネパール人が購入するのは現実的ではない値段です。 しかし、エゴマがあるのですが、写真を見せてネパール人に聞いても知らないと言う方がほとんどです。 そのエゴマなのですが、ダディン郡のトリプルショールというガービサにある友達の家の庭で見ました。 そこの一家なのですが、おじいさんが勉強の大切さを知っていて子供たちに勉強させたことによって、 友達のお父さん、おじさん、おばさんの旦那さん、友達の弟はトリブバン大学です。 おじさんは、トリブバン大学の医学部から東大大学院の博士課程で4年間学び、 その後WHOとハーバード大学の大学病院で働いて、今はワシントンDCの病院で働いています。 友達の弟は歯学部で、先日最終試験が終了し1カ月後からインターンが始まります。 その家族のおむかいさんの息子さんは、アーユルヴェーダ医師のインターン中です。 後、もうひとり同じその二人と同じ年頃の同じ村の友達がバングラデシュの医大で勉強中です。 エゴマ効果を疑っています(笑) そして、遊びを通した脳の開発ですが、 まず、ネパール人は赤ちゃんの時から、ぼーーーーーーーーーーーっとしている時間が多いです。 子供に対する絵本の読み聞かせすらないので、赤ちゃんに対する読み聞かせについても知らない状況です。 脳を刺激するようなおもちゃは勿論無いですし、紙類が高いからか、お絵かき・紙工作・反復学習も していませ。自然だらけなのですが、砂・土遊びもしていません。枝や葉っぱ等自然の物を使って何かを 作るという事もしていません。私が子供の頃にやっていた、しりとり・あやとり・ゴム飛び・川でダム作り・ 手遊び・だるまさんが転んだ等の遊び等、道具が無くても出来るのもほとんど見かけません。 特に指先を使う遊びがほぼ無いです。 これはカーストがからんでいるのでしょうか?そう思えてくるほど、無いです。 そして、日本の年少クラスにあたるナサリーと年中・年長クラスのケージでは、 発達段階に合っていないプログラムを行っています。 小学校からも、1年生から、掛け算を始めたりと、発達段階を無視しています。 そして、当然な結果ですが、計算出来ない人を多数見てきました。 友達の大家さんは紙に書いた1000-650、友達のフィンランドの大学院を出ている同僚が暗算で18-3、私の同僚の私立に通っている3年生の息子が3+4が出来ませんでした。 カトマンズの雇われ店員は、計算機を使っても何度も間違える人が多いです。 ダディンベシの一番大きな公立小学校の5年生でも掛け算ができないそうです。 ここに小学校教員としてJICAボランティアが入っています。 この方が、一桁の掛け算を書いたフラッシュカードを作り、出席を取る時間に4年生の クラスで使用しているそうなのですが、先生自身も、疲れたり面倒くさくなってくると、 児童が答えを間違えてもお構いなしにどんどん進めるそうです。 なぜ計算練習を行っているのかということが、先生すら理解できていないようです。 小学校教員を養成する支援に入っている日本のNGOがあるのですが、 そこに以前行ったJICAボランティアの方が、 小学校4年生の四則計算を学生にやってもらったら、全問正解者はゼロだったようです。 はっきり言いまして、小学校の先生の顔つきは、学校の先生の顔ではありません。 日本ではそのような人たちは先生になれないです。 このような現状を見て、 今、JICAの活動とは別に、主に孤児院の子供たちに脳を使う遊びが出来るおもちゃや道具を 持って行って、使ってもらって様子を見ている最中です。 でも、この、脳を使うようなおもちゃはネパールで散々探したのですが見当たらなかったので、 日本から取り寄せて使用していたのですが、 現在建設中の(でも買い物が出来る)ショッピングモールで初めて見ました。 ネパールは、お金持ちの子供たちもこのようなおもちゃを手に入れることは困難です。 |
日本・ネパール文化交流倶楽部の会員さんで 現在、青年海外協力隊でネパールダディン郡ダディンベシ在住のAさんからの報告の続きです。 その1はこちら その2はこちら 地震後のプログラムで、栄養失調の子供を郡立病院に入院させて治療しています。 ![]() ![]() 全員、Mahadevsthanに住むチェパンの子供たちです。 都会の清潔で健康的な子供たち。 ![]() ダディン郡の健康的で清潔な子供たち。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Mahadevsthanの子供。 だいたいこんな感じに汚れてて、身体も街の子供たちより小さいです。 ![]() それでも、チェパンの子供よりはいい状態ですが、チェパン以外はタマンが住む村なので、 家庭によっては赤ちゃんの時からお酒を飲んでいます。 胎児の時から...ですね。 マイディ村はダディンベシより寒く、ダディンベシでは見ないりんごほっぺの子供たちが多く、 採れる食物も少ないのか、身体が小さかったです。 ポカラの幼稚園で、知育玩具を買えるお店を教えてもらい購入しました。 ![]() ポカラは、バトバティーニ(ネパールで出稼ぎ帰りの人が始め、今では有名なデパート)にも沢山ありました。 アダムガードというハイウエイ沿いのダディンの村の子供です。 ![]() 兄弟ではありません。 右の子は私立に通っていて、そういう子供は上手に知育玩具で遊べるように感じます。 左の子は2歳ですが、両親の顔つきからしても将来は公立に通いそうで、あまりおもちゃに関心を示しませんでした。 おもちゃで遊んでこなかった幼児たちは、日本の幼児のように、なかなか手を出して来ないです。 知育玩具で遊んでる所です。 ![]() ![]() ![]() まだまだ、遊び方の誘導等必要ですが、けっこう集中して遊びます。 (その4へ続く) |
日本・ネパール文化交流倶楽部の会員さんで 現在、青年海外協力隊でネパールダディン郡ダディンベシ在住のAさんからの報告の続きです。 この報告メールは、6月10日付で、事務局に届きました。 理事長が出張に行ったのが今年3月ですので、それよりも最新のダディン郡マイディ村の情報です(^^) その1はこちら 私立のクリニックが無ければ、これが唯一のマイディ郡の医療施設です。 ![]() ![]() ![]() ヘルスポスト近くの街並みです。 被害は少ないです。 ![]() ![]() ![]() ダディン郡の民族の割合のグラフです。 ![]() バフン・チェットリが良い仕事のポストについていて、割合が一番多いタマンは良い仕事の職場では見かけず、馬鹿扱いされているように感じます。 ダディン郡の地図です。 ![]() ニルカンタがダディンベシがあるところです。 上の一つ一つが大きい所がヒマールエリアで、街のネパール人ですら行けないと行ってます。 下の細長い所にハイウエイが端から端まで通っているのですが、チェパンという貧し過ぎて有名な民族が住んでいます。 保健所にある啓発資料です。 旦那さんが奥さんに油をかけて、姑がマッチをすろうとしている絵です。 ![]() 北西やタライ方面でまだあるそうです。 20歳前後のネパール人たちに、『日本もこう言うのある?』と聞かれ、無いと答えたらビックリしてました。 ビックリされたことが衝撃でした。 道路に捨てられていた子供たちの施設です。 おやつで、サトウキビを食べている最中です。 ![]() ![]() ネパールは親が再婚するとき等、子供を捨てるそうで、日本では連れてくと言ったら、これもまた驚かれました。 (その3へ続く) |
日本・ネパール文化交流倶楽部の学費支援がスタートした地、ダディン郡。 去年3月より、JICAの青年海外協力隊として、その郡庁所在地ダディンベシという町に赴任なさっている 会員のAさんから、写真と共に報告が届きました。 さすが現地で人々と交流の日々を送っていらっしゃるだけあり、とても興味深い報告です。 Aさんありがとうございます! 青年海外協力隊は2年の任期を一カ所で与えられた役割をこなしながら活動するという違いはありますが、 彼女の体験を通して得られる情報は、私達にとってもとても有益です。 写真が多いので数回に分けて、投稿していきます。 是非ご覧ください。 では~^^ スズキ サビタちゃんの自宅前での写真です。 右から、お父さん、お母さん、サビタちゃん、サビタちゃんの後ろがお姉ちゃんで、他のかたはよくわかりません。 ![]() 村に行った日が試験日だったので、職員室で待たせてもらいました。 奥の中央に居る方が校長先生で、左にいる子供は先生の子供で、ネパール語(国語)の教科書を読んでもらいリスニングの練習をしていました。 ![]() この学校で使用している3年生の国語の教科書に、「かさじぞう」の話が載っています。そして、その教科書を下さいました。 学校からサビタちゃんの自宅に向かう通学路です。 ![]() 先日協力隊員たちと見学に行ったポカラの私立幼稚園です。 とても清潔で、運営者の方は名古屋大学で幼児教育のマスターをとった方で、他の先生も一人はマスター終了、二人が4年制大学終了、二人がプラス2を終了しています。 先生たちの顔つきいいですし、子ども達を叩かない教育をしています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() これはポカラから車で1時間位先にある、シャンジャ郡の公立学校の幼稚園の教室内です。 協力隊員の学校の先生たちのグループが地震の際の避難訓練を行った時の写真です。 ![]() ダディンベシで一番大きい、公立のニルカンタ学校です。 ポカラの私立の子ども達とは大違いな見た目ですが、これでも全然いい状態です。 幼稚園クラスの子どもです。 ![]() 公立の小学校の先生は、だいたいプラス2までしか勉強していなく、私から見ると必要以上に、無意味に子ども達を叩きます。 ニルカンタ学校の協力隊員が行っている最中の体育です。 ![]() 元々体育は行わないようで、『埃がまう』との理由で最初は渋られたそうです。 西側のシャンジャ、東側のシンヅリ、そしてダディンでも、子供たちは、屈伸・首を回す等の身体の動きが出来ないそうです。 体育の授業が無いので体操着も無いのですが、もしあっても、着替える時間と場所が無いそうです。 ダディンの地震で親を亡くした子供たちを約1年間保護していた施設です。 ![]() 1ヵ月前に、大方の子供たちをポカラの施設に移して、写真の3人ともう一人は親は生きているけど事情があるようで、残っています。 (その2へ続く) |
ナマステ! 改めて数えてみると、ネパール大地震より、先週で5か月が経ちました。 忘れているわけではありませんが、すっかり日本の報道には取り上げられることも少なくなりました。 まだ半年も経っていないのですね。 やはり距離の遠さと、関心の低下が感じられます。 まだまだネパールは震災からの生活の立て直しの真っ最中。 今後の生活の見通しも立てられないという人々が本当に大勢います。 明日(28日)は、当会理事長が皆様から頂いた義援金を持って、雨季が終わったネパールへ 震災支援第2弾を届けに出発いたします。 ネパールの田舎の方は雨季で壊れた自宅の再建もままならず、 未だテント暮らしの人たちが必死に生活を営んでいます。 元々頼れる政府や福祉団体等もない為、日本の被災者よりははるかに前向きでたくましいそうですが、 数か月後には寒い冬がやってきます。 来月には1年に一度の大祭”ダサイン”もやってきます。 地震にも負けず、日常のお祈りやお祭りを生きがいとし、電気もガスもない中で 自然と共存しながら穏やかに暮らしているネパールの人々が 無事にお祭りを迎えられる様に、少しでも力になれたらと思います。 そして、話しは変わりますが! 今年5月より、およそ3か月に渡って、今回のネパール大震災に関しての私達の動きの取材をし、 文章にまとめてくださった元新聞記者のHさんから昨日、 「ゲラ(試し刷り)が出来たので、最終確認お願いします」 と、本になる記事のコピーを渡されました。 今回のネパール地震支援について東日本大震災の被災地・東北からのレポートです。 原稿読ませていただいて、理事長への入念な取材に基づいていて、とてもワクワクしました! 来月末もしくは11月に発行となる「震災学11月号」に載る予定です! そしてHさんは明日、理事長とネパールへ。10日間の交流ツアーです。 今後の展開がますます楽しみですね。 理事長ツアー引率と、その後の子供たちの面接や、支援活動、頑張ってください! 皆様も、未知の世界と摩訶不思議な異文化の面白さ、楽しんできてくださいね! では、しばらく溜まっていました、頂いた義延金の報告です。 7月12日~9月25日 までの分です。 一度に5000円以上の方で、個人の場合、名字のみ掲載させていただきます。 もし削除ご希望や記載漏れなどがありましたら、大変お手数をおかけいたしますが、 メールなどでお知らせくださいませ。 (交流倶楽部事務局 japanxnepal@gmail.com) また、これからも長期的に義援金を受け付けております。 ネパールの自給自足の村の人々が生き続ける力、そして子供たちが勉強を続ける力へと 必ず変えていきますので、お気持ちのある方は、引き続きご支援よろしくお願い申し上げます。 7月22日 ・東北学院中学高等学校様 4万2千579円 7月24日 ・聖和学園高等学校 8万6千751円 ・蓮井様(会員) 1万6千円 7月31日 ・カメイ株式会社 1万円 8月4日 ・フクシイワテ様 2万円 8月20日 ・チキュウショウテン様 1万676円 8月21日 ・ご友人 1万円 8月24日 ・連坊商興会様 4万3千937円 9月3日 ・西山鍼灸院様 5千524円 9月24日 ・速見様(会員) 5千円 9月25日 ・加藤様(会員) 1万円 以上の皆様、そして、事務局カトマンドゥや、他の募金箱へ寄付をくださった皆様、 どうもありがとうございました!! 事務局すずき |
Author:日本・ネパール文化交流倶楽部 事務局
ネパール大好き、何故か嫌いになれない国・・・、なぜか無性に懐かしい気持ちになる・・・
多くの人の心のよりどころであるネパールをもっと身近に感じてもらえるように、仙台を拠点に活動しています。
より多くの人が生まれた国や境遇関係なく人生を思うように楽しめるように、ネパールと日本の架け橋となりつつ、楽しく生きたい人の集まりです。
ここではネパールと人と人との交流の楽しさに魅了された、又は、これからされたい会員さんたちとの連絡やお知らせ、交流倶楽部の日常の出来事等を公開してゆきます。
どうぞよろしくお願いします。
窓口は
仙台駅東口徒歩5分